ブーさんとキリンの生活

倉庫の2階でひっそり暮らす

生まれ変わったら早く見つけて

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霧

今までの人生で起きたことは、しかたのないことだと思っています。

それでも、考えると何とも言えない気持ち、後悔とも悲しみとも違う複雑な気持ちになる事があります。

 
それは、夫のブーさんの子供が産めなかったこと。


私は20代で病気を患い、10年間療養していました。

病気が発覚して間もないころ、本を何冊か読み、自分の病状を把握しました。

本格的な社会復帰は5年から10年かかりそう。

病状が落ち着いて結婚・出産できたとしても、再発の可能性が極めて高い。


私は幼いころから自分より年下の子の面倒を見るのが好きで、保育士になりたいと思ったこともありました。

自分に子供が産まれたらどんな名前を付けるか、どんなことを教えてあげたいかなど、いろいろ想像することも。


それでも、子供は産まない方が良いと判断しました。

私の病気に子供を巻き込むのは嫌ですし、子供に病気が遺伝するのは耐えられないと思ったからです。


療養生活8年目、夫と付き合い始めたとき、病気と子供の話をしました。

夫も子供好きで、若いころに保育士になるのを考えたことがあったそうです。

そして、出産は母子ともに様々なリスクがあり、何事もなく健康に産まれてくるのは当たり前の事ではない、と理解していました。

産むのは女性だから男のオレは女性の判断に任せる、と。

結婚したら子供を産むのが当たり前という考えの方がいる中で、本当に救われました。

 

窓

その後、子供は作らないと2人で決めて結婚しました。

私の両親にはそのことを話しましたが、夫の両親には私の病気も子供のことも話していません。

病気について話をしても心配させるだけですし、マイナーな病気なので理解してもらえないでしょう。

私の兄弟にも夫の兄弟にも子供がいるので、孫の顔を見せるというプレッシャーは兄弟たちのおかげで軽減されています。

 

数年前、持病とは別の病気を患い、子供を「産まない」から「産めない体」になりました。

元々産まないと決めていましたし、高齢出産と言われる年齢になっていました。

それでも「産めない体」になるのは精神的に辛かったです。


今までの人生で大小様々なことを選択した結果が現在の自分です。

いつどんな選択をしていたら夫の子供が産めたのでしょうか。

私にはわかりませんし、もう過ぎてしまったことです。


夫に時々言います。

生まれ変わったら、次はもっと早く若いうちに私を見つけてね、と。

次はもっと健康な体に生まれて、ブーさんの子供を産み育てるからね。

きっとブーさんに似てかわいい子だと思うよ。

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