私は40年以上、地味で目立たない人生を歩んでいます。
ある時期をのぞいては。
中学生のころ、私は一生研究したいと思えるものに出会いました。
以来、その道を究めることだけを考える生活。
同世代の人達がオシャレや恋愛を楽しんでいても、化粧もせず一年中ジーパン・Tシャツで過ごしていました。
当時、男性から告白されたことは一度もありません。
ノーメイクでオシャレもしない大きな女だったので、それは当たり前のことでした。
大学院に進学し、これからが本番という時に病気を患い中退。
就職して週に5日働けるような状態でもなく、田舎の実家に戻りました。
1日のほとんどをベッドの上で過ごし、天井を見上げる毎日。
世の中から1人取り残されてしまった疎外感。
このまま何もせずに死んでいくのだろうかと自問し続けました。
ある日、ベッドで雑誌を読んでいたら 水着の記事が目に入りました。
ビキニを着て、プールサイドで明るく笑うモデルさん達。
私はビキニなんて着たことがない。
このままビキニを着ることもなく死んでいくのだ……。
若いときしか許されないオシャレは、今のうちにしないと絶対後悔する!
なぜか急に強くそれを感じ、電車に乗って新宿へ行き、モデルさんが着ていた「紐ビキニ」を買いました。
一度やると決めたら納得するまで徹底的にやるのが若いころの私。
「この紐ビキニが似合う身体になる!」と、トレーニングとボディケアを始めました。
朝起きたらベッドの下にズルズルと落ち、そのまま30分間トレーニング。
腹筋・背筋・腕立て伏せ・ストレッチ。
病気療養中なので時間は有り余っています。
朝食後にトレーニングをして気付いたら2時間経っていた、なんてことも。
数ヶ月続けて体脂肪率が9%になりました。
ボディケアについては、まず雑誌やインターネットで調べました。
ヒップラインがきれいになるジェルや、つや肌になるボディークリーム・ボディソルトなどを徹底的に使用。
ムダ毛の処理は色々と悩み、知人のエステティシャンに相談しました。
新宿の皮膚科がおすすめだと言われ、きれいになるため執念で通院。
ある程度身体が仕上がってくると、さらに上の目標を持つようになりました。
東京のモデル事務所に所属してランウェイを歩く!
病気で何度も死を感じた私、怖いものはもうありません。
無謀だと言われようと目標を達成してみせる!と、熱い闘志に燃えていました。
ちなみに、このころも基本はベッドの中で過ごしていました。
皮膚科の予約日に合わせて体調を整える生活。
皮膚科への通院で新宿に行くついでに、原宿の美容院へ。
当時カリスマ美容師として有名だった方の美容院に通い、自分の骨格に合った髪型にしていただきました。
オーディション雑誌を買い、私でも受けられそうな東京のモデル事務所やオーディションをピックアップ。
写真を趣味にしている友人に頼んでオーディション用写真を撮り、片っ端から履歴書を送りました。
ほとんどは送り返されましたが、3つか4つは2次審査へ。
昔のことなので詳しい経緯を忘れてしまいましたが、なんだかんだで無事に東京のモデル事務所に所属が決定。
月に2回ほど、レッスンのために東京へ通う生活が始まりました。
それ以外は基本ベッドで安静。
レッスンでは、挨拶・発声・笑顔の作り方・歩き方・ポージングなどを学びました。
一緒にレッスンを受けていた方の中には、雑誌の専属モデルに選ばれた方もいます。
私は事務所に所属したものの、簡単にモデルの仕事ができる訳でもなく、基本は実家のベッドの中。
ショーモデルになってランウェイを歩くなんて、夢のまた夢……
諦めそうになりましたが、そこは一度地獄を見た私。
そう簡単には諦めません。
「事務所経由の仕事を待っていても無理だな」と思い、自分で動き始めました。
どんな小さなショーでもいいと、ランウェイに繋がりそうなきっかけを必死に探しました。
知り合いの社長や映像関係の方、美容関係の方など、ランウェイに繋がる細い糸を探し「ランウェイを歩きたい」と言い続けました。
するとひょんな事から東京でテレビ出演が決定。
プロのヘアメイクさんと衣装さんが、私を輝かしく変身させて下さいました。
収録後、疲れきった私はそのままのヘアメイクで電車に乗り、田舎の実家に帰宅。
『自分の娘とは思えないくらい綺麗。女優さんみたい!』と、母は驚き、とても喜んでくれました。
今でもたまに母はその話をします。
療養中にできた、唯一の親孝行だったのかもしれません。
その後は、プロのメイクさんに作っていただいた顔を忘れないように、自分でもメイクの練習を真剣にしました。
衣装さんが着せて下さったドレスに似たワンピースも購入。
プロが作り上げた「作品としての私」を意識し始めました。
ウォーキング・ポージング・表情の作り方も今まで以上に練習し、「自分を作り上げる」という事を手探りながらも続けていると、知り合いの社長を通じてランウェイを歩くチャンスが舞い込みました。
その社長さんはとてもオシャレな方で、ファッションデザイナーさんとも繋がりがありました。
そこから『あるコンテストにモデルとして出演してみる?ギャラは安いよ』と。
『ギャラなんていらないからランウェイを歩きたい!歩かせてください!』と即答。
こうして私の無謀な夢は叶いました。
衣装に合わせたヘアメイク、そしてポーズと表情。
大勢の視線を感じながらライトを浴びて歩くランウェイは、勝利の道。
病気で倒れてもただでは起きなかった私は、病気に勝ったんだ!
ステージの上で微笑む私を、病人だとは誰も思わなかったでしょう。
1年後、モデル事務所との契約は更新しませんでした。
自分で繋いだ縁から、ウェディングドレスと着物のショーに2回出演して、モデルの真似事は終了。
そのあとも療養生活は続き、体調の良いときだけ短期バイトをしました。
そして、夫のブーさんと知り合い結婚。
現在はプレハブ倉庫の2階で、ひっそりと暮らしています。
最後に
長々と昔話にお付き合いいただき、ありがとうございます。
どうして急にこんなことを書き始めたのかと言いますと、
いじめられたり、就職活動が上手くいかないなど、現在と将来を悲観して自殺してしまう若い方のニュースを見聞きするたび、私は他人事と思えず、とても悲しくなるのです。
ありふれた言葉ですが、人生何が起こるかわからない。
良いことも悪いことも思いがけないところから突然やってきます。
今、地獄のどん底だと感じていても、生きることだけは諦めないで欲しい。
ランウェイを歩いた後も私の闘病は5年以上続き、最終的に10年間の療養生活になりました。
病気で死にそうになったことも、自分で死にたくなったことも数え切れません。
それでも今、生きることを諦めないで良かったと感じています。
人間万事塞翁が馬
やっとこの言葉の意味がわかってきたような気がします。