12月24日発売の雑誌「週刊SPA!」に、わが家の倉庫暮らしが掲載されました。
『どうして週刊SPA! に?』と、驚かれる方もいらっしゃるでしょう。
私も取材のお話をいただいたときは驚きましたし、大変戸惑いました。
新宿歌舞伎町的テイストの「週刊SPA!」。
空き地にかこまれたプレハブ倉庫でひっそりと暮らす私たち夫婦。
この二つに共通点があるとは思えません。
世界観がかけ離れている私たちに、週刊SPA!はなぜ取材を申込んだのでしょうか。
目次
スポンサーリンク
週刊SPA!の取材を受けた経緯
取材依頼のDMには「貧困」「住まい」のキーワードがあり、私たちの倉庫住まいに興味を持たれているのがわかりました。
そこで引っかかったのは「貧困」。
私たちは「貧困者」なのでしょうか。
そもそも「貧困」とは何でしょうか。
貧困をテーマとする記事の取材を受けるかどうか、夫と話し合いました。
こちらには、話し合った内容と倉庫暮らしの理由について簡単に書いてあります。
話し合いの結果、私たちは二つの考えに至り、週刊SPA!の取材を受けることにしました。
- うちは貧困家庭ではないと思うが、他人からは貧困に見えるのかもしれない
- もし自分たちの考えとは異なった記事を書かれても、社会勉強として受け止める
取材を通じて得たもの
『どんなことを聞かれるのだろう』と、少し身構えていましたが、担当のライターさん(松本果歩さん)は、常に私たちの気持ちに寄り添ってくださる優しい方でした。
安心してやりとりするうちに、自分の中で整理できずにいた混沌とした思いが言語化され、少しずつ過去が成仏していった気がします。
その思いとは、被災経験と被災地ボランティアから感じたことです。
週刊SPA!の記事でも被災について軽く触れていますが、私がライターさんにお送りした文章から、一部抜粋して掲載します。
つたない文章ですが、これを書けただけでも、取材を受けて良かったと思っています。
避難中は日常生活のもろさを痛感しました。
当たり前と思っていたいつもの生活は、もう二度と戻って来ない、と。
避難時に持ち出せたのは、非常用持ち出し袋と通帳、少しの現金と着替えだけ。
避難中に持ってくれば良かったと一番思ったのは、毎日使っていたマグカップでした。
その時から、幸せは身近なところにあると考えるようになり、幸せのハードルが低くなったような気がします。
また、どうせ持って逃げられないのだから、そんなに物はいらない。
物を集めるなら、その分のお金を将来のために残しておきたいと考えるようになりました。
自分の被災経験とは別に、東日本大震災のあと、災害ボランティアで福島県の海沿いの地域に行ったのですが、津波の被害状況を見たときは何も言葉が出ませんでした。海岸線から離れた田んぼの真ん中に車がひっくりかえっていたり、家が流されて土台しか残っていなかったり……。
すべては瓦礫になるのだと強烈に思い、それをきっかけに物欲が低下して、贅沢や見栄を張ることにも興味がなくなったような気がします。
記事の内容について
週刊SPA!の記事について率直な感想は
『なんだか暗くない?』『人生、悟ってるみたい』。
書いてあることはほぼ事実ですが、週刊SPA!というフィルターを通すと、私たちの人生は悲哀たっぷり。
自分のことなのに、なんだか新鮮に感じます。
まぁ、若いころの出来事について書くと、どうしても重くなってしまうんですよね。
仕方がない。
以前書いたブログ記事も少し暗めになりました。
週刊SPA!の記事は、プロの力によって、よりドラマチックに仕上がっています。
そして、記事の中の私は酸いも甘いも噛み分けた「悟りの主婦」。
ライターさんが書くと私ってこんな人間になるんだ…と、感動すら覚えました。
最後に
混沌とした思いが言語化され、いくつかの気付きを得られた今回。
最初は戸惑いましたが、週刊SPA!の取材を受けて良かったと思います。
記事には私が撮った夫の写真も掲載されているので、よろしければご覧ください。
▽2020年2月、web「日刊SPA!」にも掲載されました。
▽電子書籍もあります